まんがにおける時間

 ここで、少し議論を膨らませておく。あずまんが大王らき☆すたも時間*1
というものが流れていることに注目しておこう。どちらの作品も高校生活の三年間を描いているのだ。
 しかし時間という絶対的に成長に必要なものを得ながら、彼女たちは一向に成長しない。あずまんが大王では、その世界のあまりのノイズのなさが、らきすたでは、世代交代によってせっかく導入されている時間が無効化されてしまう。(勿論、それはそれが望まれているのだけど)。そこに萌え四コマの欠落があるいは大いなる快楽が在るように思える。セカイ系のように成長に苦しむぐらいならば、それを予め排除された世界に自らを置いたほうがとても楽なのだ。
 あずまんが大王の次によつばとがくる理由は、僕の中では成長として捉えられる。よつばの歩みは確かに随分と遅く、ノスタルジックな雰囲気を存分に感じさせるものになっているが、よつばはすこしずつ成長していくのだ。また記号的身体の成長というマンガ史以来の命題に挑戦にしている浅野いにおおやすみプンプン』もインタビューでプンプンが大人になるまでを描くと述べている(あやすみというタイトルが僕にはプンプンの死を暗示しているように思われるが、杞憂であることを祈る)。僕の中でプンプンはよつばとを時間の流れをずっと速めるような作品になっていくのではないかという期待がある。
 と、最後は、ちょっとあまりにとびとびになって分かりづらくなってしまいましたが、この辺の議論はもう少し深く考えていきます。

*1:マンガにおける時間の議論は最近とても大事な気がしている。マンガは基本的に時間を書くのが難しいメディアで在るが、近年ヒットしている、ハチミツとクローバーげんしけんといった作品が時間というものを正確に書きえていることには、大変素晴らしい。人間が成長するのに絶対的に必要なのは時間である。