①時代に追いつかない、批評。

宇野は現在の文化空間には二つの想像力があるいう。一つは1995年から2001年ごろまで支配的であった『古い想像力=引きこもりの思想』であり、もうひとつは2001年ごろから芽吹き始め、今現在、私たちの時代を象徴する『現代の想像力=決断主義』であるという。しかしながら、多くの批評家はこの想像力のシフトに気づかず、未だに『古い想像力』が現役であるかのように錯覚している。
その批評家の怠惰(主に『オタク』の世界と『批評』の世界)によってもたらされた結果が、『古い想像力』と『現代の想像力』が並立してしまう状態である、と宇野は主張する。例えば、2003年前後に創刊された『ファウスト』における佐藤友哉滝本竜彦は『古い想像力』に基づいた小説を書いていたが部数としては好調であった(雑誌『ファウスト』はその後転向し=古い想像力からの脱却する、東浩紀はその転向以後『ファウスト』とは距離をとる)。その一方で、『新しい想像力』に基づくサブカルチャーの作品群もまたヒットしていくことになる

『95年の思想』と『決断主義
 では上の二つの想像力の具体的な中身についてここでは見ていこう。宇野は『古い想像力』=『95年の思想』として三つの具体例(宮台の『まったり革命』、『エヴァ』、小林の『脱性議論』)を挙げる。それらついてまとめた上で、『現代の想像力』の説明をしよう。

◇『まったり革命』から『動物化』へ
 宮台は1995年において、『終わりなき日常を生きろ』というキャッチフレーズのもと、『まったり革命』を提唱した。それは社会的自己実現への信頼が低下した95年以降の世の中を、手に入れにくくなった『生きる意味』を求めるのはやめて、『終わりなき日常』を『まったり』とやりすごそうということである。(ex. 援助交際に興じる少女、オタク)
 しかしながら、現実と虚構が曖昧になった95年以降の『軽い現実』をスルーできる『ニュータイプ』としての彼ら彼女らは、ゼロ年代に入ると『軽い現実』の高い流動性に任せる『動物』でしかないということが明らかになる。彼らは『軽い現実』が浸透することで社会的自己実現への意欲を見失い、ただ記号的な快楽を消費するだけの『動物』だ。『軽い現実=消費活動』に耽溺する一方で『重い現実=恋愛、加齢』に打ちのめされる。
 
◇『エヴァ』から『セカイ系』へ
 『エヴァンゲリオン』TV版――『世の中が正しい道を示してくれないなら、何もしないで引きこもる』⇒『何かにコミットすれば必然的に誤り、他人を傷つけ自分を傷つける』  =『〜しない、というモラル』
 『エヴァンゲリオン』劇場版――『内面への引きこもりを捨て、互いに傷つけあうことを受け入れて他者と一緒に生きていくことの選択』=『他者(キモチワルイ)を受け入れて生きていく』

セカイ系 』=『無条件で自分にイノセントな愛情を捧げてくれる美少女からの全肯定』=『キモチワルイ(他者)』のないセカイ
 『〜しない、モラル』と『他者(キモチワルイ)を受け入れる』に背を向けて、渡辺淳一的なロマンティシズムの導入の選択することで、成り立つ幼稚な想像力

◇『脱正義論』から『戦争論』へ
 『脱正議論』=『〜しない、モラル』のもとで(引きこもるのではなく)『トライ・アンド・エラーを繰り返しながら対象との距離を検討し続ける』という態度。
⇒『戦争論』=『弱い人間は95年の思想に耐えられない』ということを前提に、『価値間の宙吊りに耐える』から『(究極的には無根拠でも)中心的な価値を選びなおす』立場への転向へ。